
再び、ハマヒルガオの町に!
樹齢幾百年の老松が茂り、吹き抜ける風が琴の音を奏でることから 「琴林公園」と呼ばれる津田の松原。 美しい海岸線と白砂清松から、「日本の渚百選」「日本の白砂清松百選」に選出されています。
ここ、さぬき市津田町は、さぬき市が誕生する以前の昭和時代には、 遠く北海道のサケ・マスの遠洋漁業の基地として知られ、海に面した漁師町にふさわしく、 町木には「松」、町花には「ハマヒルガオ」が選定されていました。 町木の「松」は、今も日本有数の松林を保っていますが、 町花「ハマヒルガオ」は、植生は見られるものの、かつての群生の勢いは見られません。 地球環境の変化など様々な要因が考えられますが、 人の手を差し伸べなくては、生態系を維持することが難しくなっています。

ハマヒルガオの保護活動を通して郷土愛を育み、
児童、学生、地域住民の交流を図ります。
2023年7月、津田の松原のハマヒルガオの保護を目的に「始まりは津田の松原『ハマヒルガオの会』」が立ち上がりました。 活動は津田小学校の児童が中心となり、育苗の指導には市内の石田高校と観音寺市有明浜の海浜植物の観察・調査を行っている「香川の水辺を考える会」、SNS による情報発信には津田高校が担い、当会はそのつなぎ役と運営に当たります。
児童・生徒の成長には学校と地域の「協働」が必要です。
学校の地域道徳学習としてのハマヒルガオの観察・育苗体験は児童の地域貢献活動であり、地域への誇りと愛着を育み、「協働」を通して、児童、学生、地域住民との交流を図ります。
ハマヒルガオの観察とポット栽培で分かったこと。
現地観察では、蕾の全てが開花にはつながらないこと、開花が必ずしも種子を宿すことにつながらないことが分かりました。ポット栽培では、種子の表皮が硬いことから、種子をまく前に紙やすりなどで傷つける、種子の表面に小さな穴をあける、水に一晩浸しておく、熱湯に浸す、などが発芽に有効なことが分かりました。
SNSを使って、会の活動の他、津田の松原の四季、イベント情報、周辺情報を継続的に全国に発信します。
※SNSによる本格的な情報発信は、2026年5月頃となります。
皆さまのご支援とご協力をお願い申し上げます。
津田の松原のハマヒルガオが香川県の初夏を彩る風物詩として、市民、県民、全国の皆さんに親しまれ、愛されるようになることを願っています。
トピックス
津田小学校の校歌に歌い継がれる「ハマヒルガオ」
さぬき市立津田小学校校歌
作詞:白川 惠介
今 心の中 芽生え始めた私の夢があるよ あの海の彼方に 私の描いた未来を探しに行こう 朝日が水面を照らし 銀にきらめくように 私も輝いていたいな 砂浜に強く生きる浜昼顔のように 明日に咲こうよ 津田小学校
歩道橋にも「ハマヒルガオ」が咲いています。
はまひるがおほどうきょう:町の幹線道路・国道11号に架かる歩道橋には
この町のシンボル「ハマヒルガオ」の名が付けられ、人々の安全を見守っています。
津田の松原

津田の松原:樹齢数百年の老松と根上がり松3,000余本が約1kmにわたって続いています。世界に評価された版画家・棟方志功がこの地を散策した折り、「おお兄弟、ここにおったか」と老松に抱きつき、「この松は世界一だ!」と絶賛しました。
七福神の松:松原の中に注連縄(しめなわ)で巻かれた「恵比須の松」「大黒天の松」「福禄寿の松」「毘沙門天の松」「布袋の松」「寿老人の松」「弁財天の松」7本の老松が点在しています。
琴林碑:津田村の豪商・安藝栄柱が、京都の儒学者・皆川淇園に津田の松原の絶景を天下に広げてほしいと頼んだやり取りが記されています。碑はもう一基あり、明治時代、大阪の元高松藩の儒学者・藤澤南岳が津田の松原の絶景を称賛した文が碑に残されています。
平山郁夫画伯の写生地:日本画家の巨匠・平山郁夫がこの地を訪れずれ写生した作品が残されています。この作品は香川県民ホールの緞帳の原画となっています。
願い橋叶え橋:松原と砂浜をつなぐこの橋は、往路は「願い橋」復路は「叶え橋」と二つの名を持ち、願いを唱えながら渡り、叶いますように念じて引き返すと願い事が叶うと言われています。恋愛成就にご利益をあると、この地を訪れる若いカップルが後を絶ちません。
石清水神社:創建は古く平安時代の仁和年間(885~888)。京都の石清水八幡宮の分霊を勧請し、雨滝山麓にて津田八幡宮と称した。慶長五(1600)年、現在地の津田の松原に遷座し、明治五(1872)年に石清水神社と改称した。道の駅が隣接し、車でのアクセスが容易。



